いくつかのメジャーテーマを毎回1つずつ触れていくとお伝えしておりましたが、今日は「音楽」についてです。私の父親は素人の音楽好きで、自身は時々バイオリンを弾いておりましたが、私には小さいときにピアノの英才教育をしようとしたことがありました。私はそれが嫌で一切練習しませんでしたが、与えられた楽譜を弾くのではなく、自分自身で思いついたものを奏でながらそれぞれの即興パッセージを再構成する楽しさは感じたことがありました。従って短い期間でしたが、楽理と作曲の先生と時間を過ごしました。大学に入ってからは、現在トロント大学におられる友田利文先生などから「ロックバンドをやろう」と誘っていただいたこともあり、いくつかの楽器(ドラムなど)を触りました。
さて、私の住んでいるボルティモアは大都市でありませんが、ヨーロッパの多くの街にそれがあるようにオーケストラがあり、定期公演(同じ曲を2、3日続けてやり、毎週ごとにメニューが変わる)をやっています。ローカルなアメリカンフットボールやベースボールのチームがあるように、オーケストラも、そうした街のシンボルです。今日は、昨年の初春、特に乗り気であったわけでもないが、ふと直前に思い立ち自宅からすぐのところにあるコンサートホールに行ったことを書きます。
僕は必ずしも「世にいう」クラッシック音楽一般が好きなわけでもなく(どちらかというと毛嫌いさえしている)、そのコンサートの前半はどうも退屈そうだな、と思っていたものです。事実前半、Stephan Hough(スティーブン、ハフ)をピアニストとして迎えたピアノ協奏曲は恐縮ながら大変退屈でした。曲が退屈だったせいもあり、それまでに名も知らなかったこの方のピアノ演奏に注意も払いませんでした。ところがそのあと、途中の休憩の前にアンコールとして彼がピアノを弾き始めて何か全ての空気が変わったように思えました。曲はとてもよく知られたショパンのノクターンでしたが、全くその曲のようには聞こえず、会場の全ての音が全てピアノの中に吸い込まれて消えていくような、鍵盤の動き1つ1つが音を吸収するためのキューのように感じられる演奏でした。これは実に不思議な経験でした。なぜまた次の日にコンサートに行くことになったのか理由は覚えていないのですが(おそらく妻が息子を一度ぐらいコンサートに連れていけとか言ったのじゃないかと思いますが)、もう一度同じ時間が次の日訪れました。最初は退屈なピアノ協奏曲の再来。そのあと、また同じように音がピアノに吸収されていく4分間を過ごすのだろうかと思っていたら、意外な音がアンコールのピアノで始まりました。一度も聞いたことのない曲。周りをみまわしても聴衆は何だろうという反応。とても良かったです。周りの音はさらに深くでもとても優しくピアノに吸い込まれるようでした。でも誰が作った何なのか全くわからず、いいなあ、でも二度と聞けないのかな、と思いながら、素敵な3分間を過ごしました。
これらのコンサートですが、前半はそのハフがピアニストとして主役なのですが、後半は交響曲なので、彼はお役御免です。上記のようにコンサートには2日続けて行ったのですが、2日目の時、コンサートの後半が始まりオーケストラ演奏を聴きながらチラチラ周りを見ると、そのハフが僕の前に座っているではないですか。自分の仕事も終わったので、楽しそうに聞いていましたよ。どうしても2日目のアンコールの曲の名前が知りたいので、終わってから彼に「今日はよかったです。昨日も来たんですよ。アンコールは昨日のショパンより今日のやつのほうがずっと素敵だったかな。誰のなんという曲?好きなんですか?」など持ちかけ、話しました。曲はFederico Mompou(フェデリコ・モンポウ)の「Jeunes filles aux jardins」という曲だよ、と教えてもらいました。
今日のメッセージはこれだけです。何にも医学にも科学にも関係ないじゃないか、と皆様に怒られそうですね。僕としては、Stephan Houghの演奏でFederico Mompou作曲の「Jeunes filles aux jardins」という曲を聴いてもらい、少しでもいいなと思ってもらえれば、本当はそれで十分です。でも、大学のウェブページでそれだけです、と言ってはいけないなら。。。自分の大切なものの1つとして皆様に最初に紹介したいとさえ思ったものとの出会いを、私はどのように書いたでしょう?何の期待もなく、そのピアニストのことも知らず、ほぼ偶然のように出かけた1日目、でも振り返ってみればそれだけでは出会いには不充分だったわけで、なぜか覚えてないけど2日も続けて同じコンサートにゆき、かつなぜか2日目は違う曲(それこそこの曲でした)がアンコールで演奏され、しかしそれだけでもこの曲には知り得ず、不思議なことにこのピアニストが私の前に座っていて、だから話しかけてみて初めて何かを知った曲。人生はこのように、本当に思いもよらないことの、それも小さな綾の積み重ねが、自分にとって大事なものへの出会いを全く予想外に導くことがあります。何かを決めつけずに、ゆったりとしているとそういうものはやってくるかもしれませんね。物事が何もうまくいかなかったり理不尽だと思うときは、怒らず腐らずまあ昼寝でもしていると、フッと光が差すかもしれません。僕はいつも怒ったり腐ったり自分ではダメだなと思う時ばかりなんだけど、そんなことにさえも疲れてしまい、もうどうしようもないから昼寝するかとか、サボりましょうとしたときだけに、いいことがあったような気もします。ぜひ皆様には素晴らしい意外な体験と発見があるといいですね。
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