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春の雨、いつか

更新日:2023年1月3日


前回は、メンターシップについて何回か書くとした1回目をお届けしました。当初3回でとお伝えしておりましたし、まずは3回でまとめてみるようにしますが、その後もこのことは少し趣向を変えながらもコメントしていくかもしれません。教室を運営するものとして、メンターシップについて考えることは仕事の本質であり、ぜひそれらをご紹介できればと思うからです。


しかし、今日は少し色合いを変えましょう。コロナパンデミックでは多くの貴重な方の命も失われ、社会が大きな困難に直面することになりました。日本も3月末からとても難しい時期が続いていたのではないかと思いますが、アメリカはもっと大変じゃないかとたくさんの励ましもいただきました。心からそうした方々の優しさやご厚情に感謝いたします。


さてその時に感じましたのは、桜の満開の写真を添付でつけてくださる方などいて、日本で生まれ育ったものの共通の心のより所として、美しい春の桜があるのかなと感じたことです。日本は桜だけでなく、梅にはじまり5月はツツジなども含めて、美しいですよね。


 アメリカもそうした春の色彩は結構いいんですが、僕がここで書きたいのは、それを受け止める日本の人々のなんとも言えない柔らかさかもしれません。



コロナパンデミックにやや回復の認められる日本はそろそろ外出もできるようになりつつあるのでしょうか。しかし人が集まらざるを得ないコンサートの開催やテレビドラマの撮影などは延期になり、それを相補するかのように、インターネットの上には音楽やドラマなどがたくさんアクセス可能になっているとも聞いています。「ほのぼのとした日差しの中で、春の桜を受け止める日本の人々のなんとも言えない柔らかさ」として、1つのドラマといくつかの歌をご紹介しましょう。


「私を旅館に連れて行って」は2001年の春に放映されたドラマです。インターネットで見られるようですよ。主人公の女性が修善寺の駅(?)のホームである決意に至る第1話の後半のシーンで、4分に渡って持続的に流れる音楽の使い方も印象的です。私は映画は飛行機で見る程度なのであまり映画やドラマを知りませんが、4分ヒートアップで持続するのはなかなか他にも例が少ないのではないでしょうか。後日また改めて詳細にご紹介することになる作曲家ブルックナー(Anton Bruckner:西洋芸術音楽のなかでの最頂点を築かれるお一人です)でも、4分引っ張るのはそれなりに大変なので、印象的です。このドラマは、出演する女優陣はいわゆる派手な方々ですが、そうした彼女たちが大変訥々とした人間の大事な部分にゲームチェンジしていくプロセスの本質に、春の桜を受け止める日本の人々のなんとも言えない柔らかさの根底にある「しなやかな強さ」をおいている点で、日本を離れた日本人である僕にとっては非常に興味深いドラマです。


今日のメッセージの表題にもした「春の雨、いつか」は松たか子という人の歌。この歌からも、ご紹介したドラマと同じ印象を持っています。なので、とっても良いと思っています。さて春の歌として、ああこの人々は天才だなと脱帽するものがあるなら、それは大変古い歌にはなりますが、坂本龍一氏が音楽的本質を握ってうまく才気ある女性歌手を生かした「春咲小紅」などもあるでしょう。作曲者が天才だと脱帽する曲なら、春じゃなければ「My Revolution」を作られた小室哲哉氏などもおられる(彼はこの頃が最もよく、その後の商業的に成功した楽曲から僕が脱帽したくなるものはほとんどありません)かもしれませんね。でもこうしたものより、「春の雨、いつか」などは、春の桜を受け止める日本の人々のなんとも言えない柔らかさを感じさせてくれて、とても良いと思っています。もし聞いてみて、いい曲だなと思っていただける方がおられればご紹介したかいもあり、嬉しいです。せっかくなんで、もう1曲ご紹介しておきましょう。これも昔の歌ですが、松原みきという方が歌う「真夜中のドア」(春とは関係ないけど)。


春の桜を受け止める日本の人々のなんとも言えない柔らかさの根底にある「しなやかな強さ」。米国を仕事の拠点とする私が、今も日本の方々との交流、連携を本当にありがたく、そしてそこからも多くの価値を生み出したいと願うその原点に、こうした「しなやかな強さ」に対する敬意があります。いいことを一緒にやっていきたいですね。

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