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メンターシップ(1回目):オーストリアの氷河にてのイェッツト

更新日:2023年1月3日




時のたつのは本当に早いものです。前回のメッセージを出したのは昨日のようなのにすでに1ヶ月がたったのですね。僕はインターネットでの発信については前向きではあるがそれなりに懐疑的で(cautiously optimisticが言いたいことなのですが、日本語訳としてこの言葉は正しいでしょうか?)、どうしても筆が重くなります。そうした時に、京都のスタッフの方々でとても大事なことを言ってくださった方がいました。それは「ここには、先生がもしかしたら出会えるかもしれない学生の方、先生と一緒に勉強や仕事がしたい方のために、どんな風な先生でありたいかを率直に書けば良いんだよ」という意見でした。なるほど、と思いとても嬉しい気持ちになりました。したがって、今から3回にわたり「メンターシップ(mentorship)ということ」についてメッセージを書きます。「メンターシップ」は、僕が日本にいた90年後半までは少なくとも僕は聞いたことがなかった言葉で、米国で理解していった概念です。でも日本でもこの言葉は最近広まって来ていると聞きますので詳細な説明は省きますが、要するに上司部下という関係でなく、師匠とお弟子さんという関係のなかでの師匠の機能をいいます。この「メンターシップ」1回目として、「オーストリアの氷河にてのイェッツト」を書きます。


私は医学生のころですが、それも3年生になったころになって競技スキーというものを少しはじめまして、とはいっても20歳ごろになっての初心者としてのそれが大成するわけもないのですが、「少なくとも医学部全体の大会ぐらいではうまく滑って見たいな」という気持ちも湧いて熱心だったころがありました。医学部のリーグで好成績をおさめる人々が夏はヨーロッパの氷河スキー場でのトレーニングキャンプにも入ると聞いた私は、1987年の夏(大学4年生)なのですが、オーストリアで子供達のための選手養成のプログラムに場違いながら、1ヶ月ほど参加させていただくことになりました。この「場違いながらも参加」というアイデンティティは私の人生にその後もつきまとうのですが、それについてはまた後日触れましょう。本題に戻ると、私は小学生、中学生の選手に混じって、当然のことながら最も下手糞であり、それは見るに見かねるものでありました。ただ、参加の目的は「少なくとも医学部全体の大会ぐらいではうまく滑って見たいな」でしたので、みんなに苦笑されてもそれはまあどちらでもよく、ただ毎日が改善して行くことだけを願っておりました。


ただ、人生そんなに簡単じゃないんですね。全然うまくもならず、「はて、なんで僕はここにいるんだろう」と思うようになって来た日でした。この日は現地の有名な?コーチが来てくださるという日だそうで、将来を目指す子供達は今までになく熱気に満ちていました。アルペンスキーの練習とは、旗がたっている斜面を速く滑り降りることなんですが、私はあまりに下手なのでそのコーチから「君は旗のあるコースの外で勝手に滑っていなさい」と言われてしまい、「ああ、とうとう本当に落ちこぼれてしまったな」と体の力が抜けてしまうようながっかりを感じました。まあがっかりしていても、夏の氷河はそれなりに寒いですし、仕方なく楽しそうな子供を横目に、何度か外で滑っておりました。


この時なんですけど、いまでもよく覚えていますが、1、2度スキーの板がトランポリンのように反応したと感じることがありました。それは人生に一度も経験したことのない「感覚」でした。面白いこともあるんだな、と思ってリフトでまた上がってきますと、僕を追い出したコーチが「それだよ、それ」と笑ってやってきました。「え、もしかして、あの感触が上達へのきっかけなの?」とちょっとびっくりしつつも何やら良い気持ちでした。さて、じゃ、その後メキメキ上達した??それはそうとも言えないのですが、その日ですら何度かその後、その「トランポリン感覚」に出会うこともありました。午前はスキー、午後はビデオを見て反省会と体力トレーニングが、そのオーストリアの夏でのスケジュール。反省会では、旗のあるコースの外を主に滑らされていた僕が映ったビデオは少なかったのですが、1回登場した時のあるターンをみてコーチが「イェッツト」とかなり強いトーンで言われました。通訳の方はこれを「このターンだ、今のやつが良いんだ」と言っておられ、ドイツ語を勉強したことがない私ですが最近この「イェッツト」を検索したりするとどうも「jetzt」だったじゃないかと思います。


メンターシップに戻りましょう。僕はこの日のことを自分のメンターシップの原点の1つと考えています。私はあまりに下手糞で一人で滑る羽目になったけど、コーチはどこかでチラチラみてくれていたんですね。そして「偶然にも」うまくいったそのかけがえのない「チャンス」をすぐにきちんと「正しいよ」と教えてくれた。そしてその日人生で初めて実現し、でもわずかに何度しか実現しなかった良いターンがビデオに収められていた時に、しっかりと「今、それが正しい」と言ってくれたんですね。その後ですが、大学4年の秋には同じ氷河に慶應大学のスキー部の方々が秋合宿をされるということでそれにも混ぜてもらい(そこでも、僕はまた彼らのお荷物だったのですが、僕にとっては貴重な方々にもお目にかかれました。それについてはまた後日触れましょう)、めげることなく「トランポリン感覚」を頼りに大学4、5年と熱心にスキーをしたので、あまり上手にはならなかったけど、医学部リーグで第1シードで滑り、何枚かのささやかな賞状もいただきました。楽しい日々でしたね。


最後に、これは偶然だったか?競技スキーのビデオを見てもらえればわかりますが、ターンの切り替えで一旦力を前に逃がさないといけないタイミングがあります。それをスキーが走る、という言い方をする方もいます。どうしても早いスピードで下る時に初心者は力を入れがちですが、力を前に逃がす必要があり、落ちこぼれて体の力が抜けてしまうほどがっかりしていたからこそ、ずっと力だけが入り続けていた自分に未知の感触が来たのだと、論理的にはそう言えるかもしれません。でも「やれる」と感じるのは論理や理屈じゃないのですよね。「生きた感触」をいかに「正しいよ」と「今、その時に」サポートしてもらえるか?これは、医療、医学研究でも全く同じだと思うのです。すなわち、30年耳に残った言葉「jetzt」は、メンターシップのあり方の1つの基本だと思えるのです。そして、教室運営をして若い方々と会うときに、僕自身はみなさんに本当に意味ある「jetzt」を差し上げることができるのか、ということをいつも考えています。

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