2025年夏、東京その1:東京大学医学部の同窓会
- 澤 明
- 8月18日
- 読了時間: 3分
更新日:8月19日
今年の夏、沖縄での講演会2つ含めて、いくつかの講演と学術的会合のために日本にゆきました。沖縄に加えて、京都での活動もすでにご紹介しました。最後に、私の日本での拠点である東京での2つの出来事をご紹介いたします。
今日は、私の母校である東京大学医学部1990年卒クラスの同窓会が開かれ、参加してきたことをお伝えいたします。35周年だなんて信じられませんよね。しかし多くの方々は第一線で頑張っておられ若々しく素晴らしい限りです。僕は一番遠くから来た人、という単純な理由で、開会のご挨拶をさせていただけることになりました。
こうした同窓会をするときに、2つのことを思い出します。
1つは入学した時にその当時の医学部長だった眼科の三島先生がおっしゃった言葉です。「ここにいる人たちが、きっと後日よくわかるようになるけど、あなたの人生にとって本当に力になってくれる人たちだよ。大事にして助け合いなさい」と。まさにその通りです。外国にいながらにして、いつも同級生に助けてもらっています。さらには、三島先生は次のような面白いことを言われ、それを盲信した僕は道を誤ったのかもしれないし、もっと大局的に見るとそのお言葉に助けてもらったのかもしれません。それは「とにかく学生時代には何かに打ち込みなさい、それは麻雀であってもいい」と。この言葉を頼りに、僕はスキー部で活動し冬はずっと山におり、夏休みに行うべき病院実習をさせていただく、というとても変則的なことをしてなんとか卒業はしたのですが、本来なら、もっともっと勉強すべきだったのかもしれません。35年経ってもまだ何が良かったのかよくわかりません。でも「同級生の貴重さ」だけは間違いありません。
2つ目。一緒に入学した同級生、何名かはもっと先の世界に行ってしまいました。そのお一人は大学6年生の冬に病気が解決不能の結果をもたらしました。彼は卒業者名簿にのっていますが、医師としての活動をすることはありませんでした。彼は人柄の優れた人で多くから慕われ、同窓会新聞に我々同窓生が何かを書く時にしばしば我々の記憶の元に戻ってきてくれる人です。大学卒業前に、ある同級生が書いた文章が忘れられません。それは「いつかまた会うだろう」というようなパースペクティブ。これはとても大事な視点だとその時思いました。それから35年が経ちました。医学の道を全く極められずまた今は忸怩たる思いの私としては、今からまだ35年ぐらいは仕事の時間が欲しいなと思っています。それにしても彼と直接話す機会を失ってからの時間と、今後またおそらく彼に会える日までの時間を考えると、後者の方がおそらく短い。なので、今の世界での人々の痛みや困りごとを少しでも減らすのが我々のミッションであるにしても、今の世界も先の世界も何か全然切り離されたものでもなく、静かにつながってもいるのだろうなという感慨を、今年の同窓会では持ちました。
夏の暑い日、会場だった新宿の高層ホテルのトップフロアの宴会場からは、山梨、丹沢あたりに落ちていく夕日が時空を少し歪めているようにも見えました。暑い日でした。そして年月を超えて楽しい時間を同級生と過ごしました。
今日の写真は、家の前の黄色い花。Daffodilは日本語では水仙ですか?春を待つ花とも言われるらしいですが、いつも初夏を飾ってくれているというのが僕の印象です。紫陽花も水仙も家の玄関から道にでる間にあって、明るい季節を感じさせてくれます。





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